音楽活動歴の紹介

高校時代に全国大会でグランプリ受賞経験がある僕がマーチングバンドについて発信する前に今までの経歴をご紹介します。

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目次

小~中学生時代

ここまで昔のことは正直そこまで覚えていないですが…(笑)
親の影響で小学1年生の時からギターを始めました。
とはいえ、自分にあっていなかったのかこれはすぐに断念。というよりいつ辞めたかも覚えていないのです⋯

その後はピアノ教室に行ったり、学校の学芸会でアコーディオンをやったりしましたが、今の人生のきっかけになった鼓笛隊というものに出会ったのは4年生の頃でした。
これも親に連れられて住んでいるところから電車で2時間ぐらいでしたが通える距離という事で始めることができました。
ファイフと呼ばれるプラスチック製の横笛やフルート・ピッコロがいる笛パート
鉄琴や電子キーボードと呼ばれる鍵盤パート
スネアドラムやバスドラムなどといったドラムパート
女の子しか入れないバトン・ポンポンパート
と大きく分けると4つのパートがありましたが、小学生に人気なのってやっぱりドラムなんですね。
僕自身もそんな中の一人でしたが、ドラムパートは満員という事で欠員があった鍵盤パートに在籍しました。
鉄琴(グロッケン)と呼ばれる楽器を担当し、ここから中学3年生までずっとやり続けました。

この鼓笛隊は夏に奈良県にある天理市というところで開催される大きなイベントでパレードをする事をメイン活動としていて、そのパレードには「金・銀・銅」と吹奏楽などのコンテスト経験者であればおなじみの賞もあり、目標としては金賞を狙っていましたね。

5年生の時に鼓笛隊の先生から教えてもらった「マーチングバンド全国大会」に見に行くことがあり、
ここが人生の本当に大きな転機になりました。

初めてみたマーチングバンドにすごく感動して、
「マーチングをやりたい」
「どうせやるなら一番上手い学校に行く」

という事でこの時点で進学する高校が決定。
我ながらすごい行動力と決断力だったと思います。

中学生になっても大きく変わらず、鼓笛隊を続けつつ進学しようと決めた高校もまったくブレずに狙っていました。

高校生時代

小学生の時からの「マーチングをやりたい」という気持ちだけで東京在住から奈良県天理市にあるマーチングバンドの超強豪校に無事入学。
まさにマーチング入学というのにふさわしいかもしれません(笑)
ちなみに部員は3学年併せて100人超とカテゴリー的には大編成マーチングの中に入ります。

そしてここからは本気のマーチング一色。
朝起きては朝練でマーチング
授業中も楽譜を見たり動きのイメトレでマーチング
授業が終わればダッシュで部室に向かったマーチング
寮に帰っても楽譜を見たり、動きのイメトレをしたり、先輩に教わったりとマーチング
寝ても覚めてもマーチングの事しか考えていなかったです(笑)
この時の担当楽器はホルンでした。

マーチングホルンとかメロフォンとか色々あるのですがそういうマーチング特化楽器ではなく、フレンチホルンのベルの部分をグニュっと曲げて作られた超カスタマイズ楽器でした。
検索しても出てこないので詳しくはお伝え出来ないのですが、今考えるとありえないカスタムという言葉では申し訳が立たない、まさに魔改造レベル。
しかも改造されているのは新品で買えば数百万するようなアレキサンダーと呼ばれる高級楽器。

なぜそういう改造をしたのか?
なぜ改造しようとしたのか?
誰も反対しなかったのか?

今ですら僕自身答えが見つかってないです。
まぁ当時は与えられた楽器で精一杯やるっていう事だけしか出来なかったので…。

そんなこんなで1年生の時に武道館で行われたマーチングバンド全国大会ではグランプリを頂き日本一になる事ができました。

「1年生の頃なんて先輩におんぶに抱っこでしょ?」

たまに言われる事があるんですが、そういう目線で見ればそうなのかもしれません。
ですが、強豪校の中でおんぶに抱っこで過ごしていけるほど甘い学校でも甘い部活でもないんです。
そしてマーチングバンドというものは誰かのおかげで何かを得るものではなく、

全員が一体となってぶつかっていくもの

なのです。
2年生、3年生の時は残念ながらグランプリ受賞は惜しくも逃してしまいましたが、かけがえのない経験を積むことができました。

19~20歳

高校卒業後はエレベーター式で専門学校に入ったのでまだ奈良県にいましたが音楽活動は辞めていません。
吹奏楽で有名な天理高校のOBなども在籍している同市の吹奏楽団に2年間だけ在籍。
そこで初めてフレンチホルンを吹きました。

本物のフレンチホルン。
あぁ…いい響きだなぁ~♪
未だに最初に出した音の綺麗さは覚えています。

今まではマーチング一色でしたが、音楽の楽しさを改めてここで感じました。
みんなで音を一つにしていく
目に見えても見えなくても一体のものを作り上げている事は同じですね。

20代

20歳からは地元東京に戻ってきて、子ども時代に在籍していた鼓笛隊に今度は指導者として戻りました。
今までやってきた事をそのまま伝えればいい。
そう思っていた僕は中々な壁にぶつかりました。

素直に話を聞かない。
集中力がない。

まぁ子どもなんで当たり前の事ですよね。
そこで僕は、自分の技術と経験などをどうしたら伝えられるかを常に考えて指導にあたりました。

噛み砕き噛み砕き、さらに噛み砕いて説明したり…
子どもにも分かりやすい言い回しで説明したり…

自分自身理解しているつもりだったけど、言葉にすると出てこない。うまく説明出来ない。
だから改めて勉強し直したりして日々自分を更新し続けていました。

教える事は教わる事!

他の勉強の事でも同じ事を既にここで体感していたのです。

アウトプットは大事!

ここに関してはまだまだ勉強不足なので日々自分をアップデートしています。

この鼓笛隊の他には、地元の小学校にマーチングを教えに行ったり、中学校のブラスバンドに指導に行ったりとありがたい事に色々な機会を頂ける事があって様々な経験を積む事が出来ました。
小学校にマーチングを教えに行った時は動きも台本でもある「コンテ」と呼ばれるものも作成しました。

コンテ

…決められた曲にあわせて「いつ動く」「いつ止まる」などの動きの台本(楽譜)みたいなものです。
方眼紙に人数分×印を書いてそれを脳内で動かして実際に人がぶつからないか想像しながら書いていきます。(実際にやってみるとぶつかってしまう事もありますが…笑)

小学生が運動会で披露するという事なので、実際にプレイをする広さは高校現役時代と同じく30m×30m。
そこに100人超の動きを指定していく。というのは最初は中々大変でしたが、これもいい経験をさせて頂きました。

30歳~現在

東京に戻ってきてからの10年間。
ずっと指導ばかりで自分自身はマーチングプレイヤーとしては活動していませんでしたが、30歳で「やっぱりマーチングをやりたい」と原点回帰。
とはいえコンテストに出るのはもう飽き飽きしていたのでコンテストバンドは最初から除外して考えていました。
そこで出会ったので今在籍している世田谷区のマーチングバンド。
ここでは「面白い事に挑戦する、団長がやりたい事をやるバンド」で、まさにやっている事は純正マーチングの世界しか知らなかった僕には目から鱗。
寝ながら吹いたり、ステップしながら吹いたり、踊ってみたり、歌ってみたり…
驚きと共に「ここだ!」と思い入団。
それからはTVに出たり映画に出たりで社会人マーチングバンドならではの経験を積ませて頂いています。

最後に

ざっと自己紹介がてら赤裸々に経歴を書いてきました。
こんなに自分の事を書くのは恥ずかしい…(笑)

マーチングに関しての指導経歴はそれなりにありますので、練習のコツとかを当ブログで発信していこうと考えています。
また、マーチングの指導者を探しているという方がいらっしゃいましたらご相談下さい。
もちろん人数に応じて動きのコンテも要相談で作成致します。

団体行動の最たるマーチングバンドを楽しんで広めていきましょう♪

余談ですが…マーチングはダイエットにもいいかもしれません(笑)

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この記事を書いた人

幼少期からギターやピアノなど色々な楽器に触れつつ小3〜中3の6年間は鼓笛隊にてマーチンググロッケンをやっていました。
高校の時からマーチングバンドをやり全国大会では高校の部でグランプリ(日本一)も取ることができました。
その後はマーチングバンドから離れ、小さなオーケストラ団体にいたり、出身の鼓笛隊の指導者として活動する傍ら、自分自身もマーチングをやりたいと思い現在は東京世田谷区のマーチングバンドに所属しています。

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